ある男の記憶。

ここに記してある事は架空の物であり、実在の人物及び団体とは 一切関係ありません。

挑戦する事について。

  久しぶりに畳の上で寝ることになった。旅館の和室に必ずある名前不詳の窓際椅子エリアにいる。布団を二つとも使って寝る女は嫌いだ。
  一昨日、つまり平成26年2月7日にある決断をした。正直に言って途中で投げ出してしまった時に格好がつかないからまだ公言はしないけれどこれを達成した場合卒業以降みんなに会う機会がかなり減る事は確実である。
  さて、よくある言葉だが「やるは一時の恥、やらずは一生の恥」という事を私は身を持って体験し一生の恥を背負って生きている。私は今までの人生で3度挑戦の機会を経て此処についた。
  一つ目は高校で留年した直後の話である。私は下級生達からも当然知られていた、しかも不良で関わりたくない人といった感じで。私は留年した咲希の教室に入るのが怖くて仕方がなかった、心から恐怖していた。そして始業式前日の夜に、偶然ある法則を知った。"新たに知り合う人と出会って3秒以内に話しかければ友になり易い"ふと気づいた、どうやっても避けられぬなら仲良くしようと。翌日教室に入るとすでにいた何人かが「こんちわっ」明らかに私を怖がっていた、私は「仲良くしてください」初めて年下に頭を下げた、一筋だけれど頬を濡らしてしまった。その瞬間から今まで、あの学年とは大の仲良しである。
  二つ目、高校の部活についてである。私は中学から和弓をやっていたが留年した為部活は文科系のみという縛りを受けた、そもそも留年生は部活をしない。私も最初の1年半は部活なんてせず遊んでいた、しかし転機が訪れた。2学期の中頃福澤先生の生涯を班に分かれて演じるという授業があった。そこで昼休みに練習のために班の女子と外へ出た、そして私はその人の事が好きだった。演技の過程で私がいわゆる"壁ドン"をする場面があった。その日も学校裏の倉庫を壁にして壁ドンをした、そしてキスをした。
  非常に甘酸っぱい青春丸出しの思い出である。お互い制服で校舎裏でキスである、しかも彼女はメンヘラ気味だが可愛かった。そして彼女はとある文系部(仲良し集団)の一員であった、彼女は私を連れていった。そこは中高一貫で女子が20人いる共学内の女子高であった、生理用品が転がる部室に私は連れて行かれ入部させられた。そして私は彼女と仲間を得た、今より女慣れしていなかったのにキスした自分は正しかった。そしてその女子が今でも私の好みを形作っている。
  三つ目、これは勇気を出せずに失敗した話である。何をかを記す気にはなれない、活字として目にしたくない。私達の代は震災の影響で入学式やらなんやらが5月くらいであり新歓も特異な日程だった。私は高校である男と会い、それからある事がやりたかった。そしてその事を調べるにつれそれがどんなに大変な事かを知った。綱島にいた5月の頭、適当に過ごしていた私は1つ上の代にいる友人に連絡をした。当時はLINEが普及しておらずメールだったので今も自戒の為残してある。彼女はすでにそれをやっていた、だから連絡をするとある男性の連絡先を教えてくれた、私は当時全く使えなかった敬語を頑張って使ってメールをして会って話そうと言って貰った。しかしここで私の心に不安が過った、そして断りの連絡をいれてしまったのである。
  それから3年近くが経つ、いまもその女とは仲良しだし男性とも険悪だが近くにはいる。そして私はそれに近しい事をしている、だがそれは近しいだけだ。大学生活で大きい組織には2つ所属したし、している。勿論素晴らしい理念と伝統を持つ組織だが私は何をやっても何をしてもそれの模倣にしか感じない、虚しい。それをやっている奴らとは仲良くやっている、これは羨望からの行動でしかない。私が最初からそれに参加していて現在まで続けられたかは分からない、あの当時は厳しかっただろうし無理だった可能性の方が高いだろう。ただそれは永遠に分からなくなってしまった、そのことが後悔である。
  先月日吉の店で食事をしているととある友人が来て話をしたそこで出た言葉である

「学ランを着るコストって事だな」

おやすみなさい。