ある男の記憶。

ここに記してある事は架空の物であり、実在の人物及び団体とは 一切関係ありません。

夢想家である事について。

 とてもいい天気だったので、鯉幟を準備しておいた。もし帰って元気があれば揚げようと思っている。

 昨日、久しぶりにとある先輩と再開した。その方が現役だった頃決して懇意にしていただいたとは言いがたいがご卒業されて以降何かと縁があり時間を作っていただくに至った。その後の展開はいつも通り平常運行である。

 先輩の家は大学生のひとり暮らしとさして変わらない様に見受けられた。小さくまとまった空間に生活の全てを内包している利便性と開放感をトレードオフしたようなアパートだった。しいて言うならばベッドの横に布団が滑り落ちないようの柵が設置されているタイプでそれが邪魔くさかったのが唯一の不満点か。

  事後に彼女は言った「私、ベットの上で交わされた言葉は信じない。ここは夢の延長線よ」私もこの事はなんとなく自覚していた、だけれども他人の口からその事を聞き確信へと変わった。薄ぼんやりと、それでも確かに私の心中で確固たる存在を示していたそれは自明の理となってしまった。

  随分と前から色々な女性と肌を重ねてきた。その全ての時と場所、どういった最中ですら私の抱いていた疑問である


(これは夢なのではないか)


勿論夢などではなく歴とした生殖行為であるし人間として生き物としてなんら問題のある行為ではない。しかし私はどこかで空想であるような感覚を覚えてしまう。それを否定するため、振り払う様に翌朝再び行為に及ぶ。それでも私の心からその疑念は消えない。なにをしても消えない映像や写真を残してもどうやってもこの感覚が消えてくれない。

  夢だから、夢想だからという誤認が私の性行為に対する認識の薄さと内容の放漫さの根源という気もしている。夢の中だから、なにをしても良いという誤った理解が萌芽となり諸所の不貞さという問題を生み続けているのだ。

  彼女とはこれから何度も肌を重ねるかもしれない、もう2度と交流を持たないかもしれない。どうなろうと関係はない、きっとそれも夢の中だから。

  

ファーストキスについて。その2

 前回書いた時からだいぶ間が開いてしまった。キャンパスが変わってドタバタしたりしてやっと落ち着いてたところ。

 さて前回のTさんだけれども1周間空いてなんだか思いというか記憶が曖昧になってしまっている。とりあえず帳尻を合わせるためにこれを書こう。前述した出来事のあと、私達はふたりきりの空間と時間を密室の中で過ごしていた。しかしその次の段階へは発展せず何事もなく現在までいたる。

  けっきょくその事が話題に上ることは一度もなかった。ただこの前、伊勢丹で突然曲がり角で会ったTの笑顔があの時と同じ唐突さと物理的距離だったので記憶が蘇ったのだと思う。

  むかしからあと一歩の恋愛ばかり。

ファーストキスについて。

  床に就き眠れないなぁと思い今日一日を思い出していた瞬間、突然10年前の記憶が戻ってきた。映画の様にそれは突然私の脳内に時を駆けて舞い戻った。
  当時私は11歳だった、私の小学校は修学旅行といっても毎年行われていたので修学しているのかは微妙だが。その年は蓼科にある施設に宿泊していた、期間は1週間程度だったと思うがそこまでは思い出せない。
  青い空と避暑地ならではの爽やかな気温、白いカーテンが風に靡き南風に輝く緑が地面に漣を産んでいた。この情景が今頭から離れない、強烈に唐突に思い出した光景である。
  私は体調を崩してその日の行程を欠席していた、4人部屋で私は1人本を読んだり施設内の原っぱを探検していた。施設に残った大人は確か医者1人だけだったので私は修学旅行というにも関わらず自由を手にしていたのである。
  私が部屋に帰ってテレビを見ていると扉が開いた。そこには同じクラスのTが立っていた、彼女も体調を崩して欠席していたのだが私はその事を失念していた。「だいじょーぶ?ぼくは治っちゃった」確かこう言った、すると彼女は扉を閉め鍵を掛けた。私は鈍感だったので意味するところが分からずキョトンとしていた、するとTは言った「好き。ちゅーしたい」あとは勢いだった。
  それが私の恋愛要素を含んだファーストキスだった、今まで違う話を他人にファーストキスの話としてしていたが心の何処かで違和感を抱いていた。何か違う、これではない何かが過去に起きているのに思い出せない。やっと記憶が戻った。

  この続きはまた次回にしよう。

同期の卒業について。

  まだまだ春本番とはいかないようで、この時間の駒沢公園は肌寒い。
  私にとって同期という言葉が指し示す対処は一体全体平成何年産まれなのか。ともかくこれから卒業する平成3年産まれのみんな、おめでとう。
  考えが全くまとまっていない。ただ幼稚舎から数えて16年、ともに学んだ者たちが学窓を離れ社会へ旅立って行くのを見送るという事実は余りに虚しい。これが自ら招いた結果であるのは明白だけれども、感情として寂しい。
  私は孤独が嫌いであり友人と共にありたい。それなのにまた大勢の仲間と離れてしまった、しかも自分の行いによって。なんて愚かな人間に自分は育ってしまったんだう。

生業というものについて。

  Gのことがが心配な夜である、あれからだいじょぶかな?。ここ数日は日中暖かく花粉と戦い夜は寒くて凍れる、身体に悪い気候だ。
  以前、私はやりたいことがあったが出来ずに後悔していると記した。その轍を踏まない為の行動をここ一ヶ月で始めている。
  私と同年代のみんな(見てる可能性があるのは貴女一人だけれども)は卒業も決まりいよいよ社会人として4月から踏み出す。仕事をしてお金を貰い自活して生きる、余暇に行っているというお題目である部活やサークル、アルバイトでなく衣食住を得る為社会とお国の為に働く。希望すれば殆ど無条件に挑戦出来た部活やサークルと違い大変な苦労を就活という名で戦い勝ち取った結果である、ほんとうに凄いと思うし全力で集中していって欲しい。みんなが卒業する時に、Facebookにでもなにか綴ろうと考えている。
  ところで一方、前述のそれを私が出来るかは正直未知数である、よって具体的に記す事はまだしない。ただこの大学生活全てを苦悶に満ちさせ薄曇りのような青春を引き起こした自らと決別する為に私は行動を起こした。やりたかった事を横目に時間が過ぎるのを待ちまがい物として存在しつつ惰眠を貪るのは3年間ですら耐え難く残り1年間も正直真っ平御免というところである。これが社会人45年続くならば、残された道は無い。
  やってやるんだ、絶対に勝ち取ってやりたい事をやるんだ、それしかこの鬱屈とした4年間を、人に恵まれても組織に恵まれなかった4年間をチャラにできる最後の機会なのだ。なんとしてもやらなければならないのだ、自分の為に。

Hさんについて。その2

  寒くなったり暖かくなったり忙しい。早稲田と明治は合宿頑張って。
  さてさて昨日は私が大学生になったところまで書かせて頂いた、続きを記すけどもそんなにない。
  Hはゴルフサークルに入っていた、塾生なら知っているピンクのチャラいアレである。あの渦中ではHといっても普通やや地味程度で楽しそうにやっていた。最初の1年はキャンパスも同じだったのでちょくちょく飲んだり遊んだりしていた、お互い恋人はいたけれどよく会っていた。相互の持っていた認識は全く異なり私が一方的好意を抱いていただけで向こうにとっては高校の同級で友人でしかなかったのだけれど。
  ここでちょっとした事件があった。夏の暑い日、2人でビアガーデンに行って大量にビールを飲んだ。私は普通だけれどHは強い方で潰れたりすることは滅多になかった、しかしお互い潰れて意識はない。起きると私はHのマンション、Hのベッドに寝ていた。Hはシャワーを上がってパンティを履いて肩にバスタオルを掛けて胸を覆っているだけだった。私は瞬時に理解しそして同時に自分に絶望したのだ、しかしHはイタズラっぽい笑顔のまま煙草を燻らせるばかりであった、私はずっとおっぱいを見ていた。その後2人で朝ごはんを作って食べて私は家に帰った、その日のことは未だに謎で話に出すことは恐らくもうない。恐らくほとんど確実にセックスをしたのだと思う、がしかしその記憶が無くて幸いだったのかもしれない、あれば永遠に囚われてしまいそうだから。
  それからも定期的に会っていたがキャンパスが移りHがインターンやら就活を迎え私の精神が不安定になったりと徐々に距離は離れて行った、それでも私はHに恋をしていた。そして昨年ある寒い季節4ヶ月ぶりくらいにHと渋谷のHUBへ行った、珍しく空いていた。そこで私達はまた深酒をし私は口を滑らせ余計な事を言った、本心を漏らしてしまった。高校生の頃から貴女にずっと恋をしていたこと、高校時代撮ったプリを今でも財布に入れてること、すべて話して泣いてしまった。その時Hは笑って「ずっと知ってた、私も君を好きだったんだ。でももう遅いよ」そしてキスをした。長いしょっぱいキス。
  私達は今も友達だし、これから死ぬまで友達だと思う。死ぬまで友達以上にはなれないのだ、もう遅かったのだから。
  私の決断はつねにもう遅い。

Hさんについて。

  ちょっとずつ暖かくなってきましたね、花粉症の季節です。
  私の同い年達が卒業するということで、高校の頃好きだったHさんの話をしようと思う、結論から言えばHと付き合う事は出来なかった。
  Hはまず、可愛かった。快活で明るくエネルギッシュな関西弁ギャルだったそして何よりも、彼女は当世一大の可愛い子揃いの同期内において神5と言われる一画だった。Hとは部活で出会った、私は昔から自由が丘近辺に住んでいてこちら方面の塾生は殆どいないがHは近くまで一緒だったし今も変わらずだ。つまり私は週4で2時間を好きな人と二人っきりでいる時間を得ていた。
  知り合って半年後くらいには好きで好きで仕方なくなっていた、部活に誘ってくれた子とは既に険悪だったしとにかくHのことばかり考えていた。と、Hに野球部のイケメン彼氏が出来きてしまったのだった。私は狼狽した恥ずかしながら嫉妬して腹いせに部内の後輩と手当たり次第にセックスしたりしていた、こう考えると今とそう変わりない気もする。すると3ヶ月で奴らは別れたのだ、夏休みだけのマジックだったようだ。私の勝負第二回戦の始まりだった。
  学校の帰り、毎回色々な所へ行った。宿題や部活の作業で毎日横浜やみなとみらいのカフェでお喋りをした。教習所も2人で通った、初めてのドライブもお互い2人で行ったし休日遊ぶこともままあった。しかし今でも不思議なのだけれどキスもセックスも当時Hとしなかった、断言できる。そうして彼女は日吉へ行ってしまった、ちなむとこの頃くらいに六本木で阿萬と会った。
  そして高4の夏、Hが部活に遊びに来た。部活=学校お泊り大会なので女子会に3泊4日付き合わさせられる行事である、三日目に生理用品買いに行かされたのが辛かった。久しぶりに会ったが大学生になっても相変わらずほんのりビッチのままなので安心した。帰り際、突然抱きついてギュッとしてくれたのが嬉しかったが直後に気づかれ股間を蹴られた。
  そして、私も震災を経て大学生になった。

長いから今回はここまでにしよう。