ある男の記憶。

ここに記してある事は架空の物であり、実在の人物及び団体とは 一切関係ありません。

嫉妬心について。

  明日はゴルフなのに眠れない。なんで俺がW君を迎えにいくんだあいつが迎えに来いよ笑
 さて、誰のとは言わないけれどさっきFacebookを見ていて非常に妬ましい気持ちに苛まれた。別々の事柄だけれども、いつもその集まりに自分は呼ばれていたりしていたはずなのにそこに私はいない写真が幾つも幾つも幾つも幾つも幾つもあった。こんな中学生みたいな嫉妬をしていたのだ。
  最近実名のSNSは全く更新していない。別に何もしていない訳ではないけれどおおっぴらに公開できる事ではないことばかりであるからだ。もちろんその時は楽しいのだけれどSNSでひけらかす事ができないことばかりである。というかどれか1人でも露呈したら大変なことになる。
  多くの人は否定するけれど私はSNSという存在を人生の一番美しい部分を切り貼りして互いに魅せ合う品評会であり、自分より下の人を見て安心したり上を見て妬んだりする道具以外の何物でもないと思う。組織が広報の為に使うものは違うと思うけれどそれにイイネ!やRTなどの確認印を記す人は「私!こんなステキなものに!興味あるんです!」と叫んでいるだけだ。そして周りのみんなが叫んでいるのに自分だけが叫ばないのは心理的に不愉快なため結果として全員が"最高にステキでいけてる自分"を演出し合う場となりそれに対して「可愛い(((o(*゚▽゚*)o)))まじ愛してる💓」や「いーかげん飲も( ̄▽ ̄)」といった添え物を投げつけ合う見るも無残な百鬼夜行と化すのだ。
  主にFacebookだがあのサービスを単純化すると以下のような事を表現する為に使う人が多いのではないか。
"こんな可愛い女の子達"と
"こんな素敵な場所"で
"こんな楽しい事"をしている
"みんなの中心にいる自分"である。ただしお約束の"自分は全然優れていないけれど周りのみんなは最高で感謝している"という自虐を必ず添える事。反吐が出る、不愉快極まりない。だけれど私だってこういう事をするし、している時は気分がとても良い。ただ自分が対岸にいる今は妬ましく侮蔑している、なぜなら私は客観的に物事を見たり他人様を自分より尊重したりする事は演技出来ても本心は思えない人間なのだから。そんな人間に成りたいとも思わないけれど。
  こんな事を言うのも結局は前述のものと同じく欲求を満たす為でしかないのだが私のここ最近はそうとう充実していると思う。誕生日だってクリスマスだって年末年始から今に至るまで楽しかった。あんなステキなクリスマスデートをしたのは慶應中探しても殆どいないと断言出来ると思う、ただそれを他人に見せつけて承認欲求を満たすことが出来ない。それがこのもどかしさの原因なのかもしれない、そう理論的に考えると何だか虚しくなって余計にストレスが溜まる。
  勝手な予想なのだけれども、殆どの人はSNSの不毛さに気づいていると思う。だけれどそれに気づかないフリをして生きることが求められているのだ、誰からもそんな命令は受けていないのに私達自身がそういった空気を作り出して自らを操り人形に仕立て上げたのである。

  昨今親族内でまた新たに揉め事が発生し、血縁も所詮は無力ということを思い知ったので結婚願望もなくなってにきた。恐らく私の子供は私を裏切る、もし互いに愛した女性がいてもどちらかが裏切り殺伐とすること請け合いだ。人は愛したいからではなく孤独になりたくないから社交性を高め切磋琢磨するのだと言うそうである。

  私だってもう寂しいのは疲れた、でもどうしたら良いか結局わからない。