ある男の記憶。

ここに記してある事は架空の物であり、実在の人物及び団体とは 一切関係ありません。

肩書きについて。

  来日はあるだろうけれど、やっと日吉の授業が今日終わった。日吉は大学のみっていう珍しいコースだったのにこんな長くお世話になるとは思わなくて感慨深い。
  さて、ちょびっと前から彼女がいる。まぁそれがどこの誰かってことは私と仲良しのみなさんはいずれ分かるだろうから、ここでは秘密ということで笑
  昨日その人ではない人と飲んでいて"交際中"という状態、恋人という肩書きは果たしてどういう意味合いと力を持っているのかという話になった。そもそも愛しているというのはいったい何なのかという話にもなった。
  22年間の人生で何人もの人と付き合っては別れ、それを大きく上回る人と関係を持った。一晩だけだった人や1年以上非公式な間柄だった人までいた。ほとんど全ての場合において私が落ち込んだりしている時に偶然にも優しさを見せてくれた人が現れ、私がそれに依存するうち最初は良くても徐々に相手の自由を奪ってしまって最終的に破綻するのが定石である。いままでずっとそうだった。そしてもたれ掛かった相手を一瞬にして失った私はさらに深みへ沈み次の依存相手を探すゾンビになっていった。これが自分自身の現実である。
  今の相手にはそんな弱い所はほとんど見せていないし見せる気もない。杖をついて歩く努力をしている時に杖を失う恐怖を嫌という程感じた、もうそれなら私は椅子に座っている方が良いのだ。挑戦する勇気はもう無い、薄々感ずいてはいたけれどハッキリ今回の事でわかった。もう新しい何かへ挑む精神は失われたのだと。
  相手と高め合ったりする健全な恋愛関係は築けた事が無い、相手に寄生虫のように依存するしか愛情表現を知らない。しかし今それを行えば早かれ遅かれ到来する未来は過去と同じである。またあんな心的外傷を受けるのは嫌だ、かといって今のままだと果たして付き合っている事への意義が見出しづらい。
  恋とは難しいものなんだなぁと改めて感じずにはいられない。