ある男の記憶。

ここに記してある事は架空の物であり、実在の人物及び団体とは 一切関係ありません。

誕生日という存在について。

  前回はすいませんでした。


  どんな人にもある誕生日という日。当然私にもある、12月20日である。この日が嫌いだ。
  この日の5日後になにがあるか、クリスマスである。これは自分勝手以外の何物でもないのだがその二つが半端に近いせいでそこの約一週間は1年間で最も不愉快な一週間となるのが通例になってしまった。
  そもそも一般的に誕生日とはどの様な日なのか、家族で祝って贈り物を渡したり友人や恋人と過ごしたりと基本的に当事者にとって楽しい愉快な日ではないだろうか。ただそれは"基本的に"であって相変わらず私は例外である。楽しくない、不愉快極まりない。
  そもそも一体いつから私は自分の誕生日に嫌悪感を抱くような偏屈人間と化してしまったのか考えてみたい。最初に思い出されるのは5歳の誕生日である、父の取り巻き達を大々的に集めて帝国ホテルで豪勢なパーティーをやっていた。バブル崩壊直後とは思えない時代錯誤な催しだった事が写真やビデオから分かる、ただ少なくともその場において私は楽しんでいたと思う。事件はその後に起きたのだから。
  当時は私の家に両親もいたのでメイドの他に警備員もいた。大西さんだったか大石さんだったか、寡黙だったけれど小さかった私を可愛がってくれていた。もう顔も思い出せないが優しい人だったと思う。メイドは暇を与えていたので留守にしていた。
  まだ私が小さかったのでそこまで夜更けにならず車は自宅に着いた、しかし門が開くことはなかった。彼は血塗れで倒れていた、家にあった美術品工芸品に現金など多くが盗まれていた。寒い空気が割れた窓から吹き込み内と外との隔ては破られていた。私の誕生日は盗まれていた。
  これ以上はグロテスクなので割愛するけれど、とにかくあの日以来何かとケチがついている。誕生日という日が今年もやってくる、もちろん楽しかった年もあった。去年はとても嬉しかった心底幸せだった、今年もなんだかんだ楽しくなるんじゃないかと淡い期待もしている。
  クリスマスシーズンの到来に破顔している家族連れなどを見る度に自らの境遇への悶々とした感情が湧いてくる。今年こそは今年こそはと期待を膨らませる度にその傷跡も深くなって臆病になってしまっているのだと思う。それでも私は今年の12月第3週に期待せざるを得ないのだ。それすら出来なくなった時、本当に私は歩みを止める日なのだと思うから。