ある男の記憶。

ここに記してある事は架空の物であり、実在の人物及び団体とは 一切関係ありません。

嘘をつくという事について。

  夜中にGとLINEをしつつこれを書いている。弱ったとき、辛い時助けてくれるのはGとかみんなだけ、本当にありがとう。
  ところで、みんなは嘘をついたことがあるだろうか。たぶん誰でもあると思う、少なくとも私はたくさんの嘘をついている。
  嘘と一概に言っても大嘘から誤魔化し、本音と建前からくるものまで沢山あるけれど多くが誤魔化しと建前によると思う。
  世の中は建前が溢れている、それは当然の事でいちいち気に掛けていたら心を病んでしまう。だから思考を停止させているのが正しいと私は思う。老人に席を譲るのは他人の目があるからだし先輩に挨拶するのは尊敬しているからでなく怖いから、政治は選挙の為にやっているし戦争は儲けの為にやっている。もちろん真心からの行動もあると思うけれど恐らくそれは少数派だ。
  私はここ最近本当に人を信じることが出来ない。いったい誰が本当の事を表明しているのか、いま目の前で笑っている人は本心で全く笑っているはずがないのではないか。誰もが何もが疑われ始めて止まらない事がある。
  SNSなんていうのは建前を並べたショーケースみたいなものであると思う、だから最近FacebookTwitterのgikkunの方はなるべく見ないようにしている。普段なら乾いた嘲笑で流せる投稿も今の精神状態では傷つけられそうだから。
  冷めている事、客観視することは大切な事だしそういう風に努めてきた自分がいることも分かっている。ただそれは自分の境遇を拒絶するの適応規制の結果なのではないかなぁと思ってしまう。
  一つの物事にアツくなって批判や陰口をものともせずいる人はカッコイイし自ずと陰口なんかも減ってくる。自分がその器で無い事も自分が一番分かっているのに。