ある男の記憶。

ここに記してある事は架空の物であり、実在の人物及び団体とは 一切関係ありません。

ツイッターについて。

  あまりにも暇なのでこれを書いている、何を書くかの目標意識がないまま書いているので駄文になると思う。
  私はツイッターが好きだ、好きだというより依存しているというか共生していると言うべきか。とにかく私はツイッターを良く見ていると思う。その証拠にiPhoneの通信量内訳はツイッターのアプリが3割強を占めている、なかなか恐ろしい。ちなむとLINEとFBで9割であった、SNS時代を如実に感じる。
  私のツイッターアカウントは複数あるけれど稼働しているのは3つしかない。@gikkun、@8years_0ld、@rokudai_botの3つである。最近gikkunは極力呟かないようにしてRTふぁぼ及び情報収集、8歳はみんなとのコミニュケーション、応援歌botは言わずもがなである。
  8歳のTLはオレンジ卵2つがメインでたまに👍こんなのが現れる程度である。私が感じるところがあったのはgikkunの方である。このアカウントは相互フォローなどで500をゆうに超える情報が入ってくる、そしてリアルタイム更新アプリなのでTLは止まることがない。
  こうして眺めている間にも近藤、山岸が日吉に向かってきている事や何人もの友人がセミナーが何かで丸ビルにいることがわかる。他にも非常に多くの事が同時多発的に伝わってくるので全てを把握するのはとても気疲れする感は否めない。
  情報が多すぎると人はその取捨選択を放棄し思考停止に陥ってしまうと聞いたことがある。確かに朝起きてiPhoneを見るとLINEに99の表示、TLは荒れ果て...となっているとうんざりする。こういう細かいストレスが仕事が遅いだのなんだのという連鎖を産んでいる気がする。

  ここまで書いた所で高野に会った、なんでこいつは卒論を早く書かないんだろう。なんでわざわざ日吉メディアに来てるんだろう。